雑記

「意見」と「人格」を分けて考えるということ 〜対立と分断の時代に必要な視点〜

はじめに

近年、私たちはますます多様な意見に触れる時代を生きています。SNSの普及により、家庭にいても、世界中の声を瞬時に聞くことができるようになりました。その一方で、「違う意見」に強く反応し、時に激しく対立し、感情的・思想的に“引き込まれてしまう”ケースが増えているように感じます。
それは、若い世代に限らず、40代から70代といった中高年層においても見られる現象です。

そこで今日は、「意見」と「人格」を分けて考えることの重要性について考えてみたいと思います。

意見と人格を混同すると何が起きるのか

ある人が「Aという政策に反対です」と言ったとき、私たちはつい「この人は間違っている」とか、「この人とは分かり合えない」と感じてしまうことがあります。
しかし、「Aに反対」というのは一つの意見に過ぎません。それを人格の問題として捉えてしまうと、その人全体を否定したり、敵視したりしてしまいます。

これは非常に危険なことです。なぜなら、健全な議論ができなくなるだけでなく、感情的な対立が生まれ、人間関係そのものが壊れてしまうからです。

なぜ今、引き込まれる人が増えているのか

こうした「意見に対して過敏に反応し、感情的・思想的に引き込まれてしまう」現象は、なぜ今増えているのでしょうか。理由は一つではありません。

  • SNSが私たちに「怒り」や「共感」を刺激する情報ばかりを見せてくること。
  • 社会の不安や孤立が広がり、「自分の居場所」や「仲間」を強く求める心理が働いていること。
  • そして、学校や社会で「違う意見とどう向き合うか」を学ぶ機会が少なかったこと。

これらが重なり、「この意見を否定する人=敵」といった思考に引き込まれやすくなっているのです。

意見と人格を分けて考えるという態度

では、どうすればこのような引き込みから距離を取れるのでしょうか。
それが、「意見と人格を分ける」という態度です。

  • 意見には賛成できなくても、その人の人格は尊重する。
  • 自分の意見が否定されても、自分が否定されたとは思わない。
  • 相手の背景や意図を冷静に考えてみる。

このような姿勢は、議論を建設的にし、人間関係を壊すことなく意見の違いを乗り越えるための鍵となります。

終わりに

今の社会には、「意見の違い」から「人間の分断」にまで発展してしまう風潮が広がっています。
しかし、私たちは違う意見を持っていても、同じ社会に生きる人間同士です。
だからこそ、「その意見には賛成できないけれど、あなたの存在は否定しません」というスタンスを、誰もが少しずつ持てるようになることが大切です。

「意見」と「人格」を分けて考えること。それは、分断の時代をしなやかに生きるための知恵ではないでしょうか。

ABOUT ME
ARUKU室長
大阪府出身。理学療法士、会社経営。2007年に理学療法士国家資格を取得後、急性期・回復期・生活期でのリハビリテーション・理学療法の経験を経て現在に至る。「ARUKU=歩く」姿勢や動作の分析を得意とし、さらに一歩進める/もう一度一歩進むための、医療や介護に関する様々な活動を実践中。高齢者や障がい者の方々が「社会参加」しやすい世の中になるため、リハビリ・看護・介護の総合情報サイトを立ち上げ多種多様なブロガーとともに多岐にわたる分野の記事を執筆中!